気づきの覚え書き

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プラユキ・ナラテボー師と魚川祐司氏の講演会

ハードワークな毎日で、風邪をひいてしまい先週は声が出なかった。
自然な感覚にしたがって、毎日スープを作って生姜とにんにくを入れ、
温かいものを食べていたらなんとか声が出るようになり、
最後に病院にいって、咳の薬をもらってなんとか復活。

なかなか病院すら行けない仕事だものなあ。
早朝から夜まで、毎日・・・

それでも楽しみにしていたニー仏こと魚川氏とプラユキ師の講演会。
なんとか行きました。
魚川氏の説明はとてもわかりやすい。
波線で「良い時」「悪い時」の繰り返しを描く。
そしてブッダが説いていたことは、「苦」から抜け出すには、
「楽」からも抜け出すということ。その波線から離れる事だということ。

ほんとにそうなんだよなあ。
だから、楽したいから悟りたい、というのは違うんだ。
悟るということは、苦も楽もないこと。
芸術を味わう感覚すら無くなってしまう。
「美しい」も「醜い」も無い。

だから八正道はその感覚を教えるための道だったんだなあ。
正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定って。

このしつこいくらいの感じ。何かと似てる。

そう!!!あれ。「奇跡のコース」のワークブック。
繰り返し語られるフレーズ。
「この景色はなんの意味もない」
「ここに見えるものはなんの意味もない」
目の前にあるものは知覚が生み出したものであり、
本当に存在しているかわからない。

言いたいこと同じなんだと思う。
奇跡のコースはキリストが言ってることになっているが、
結局、けっこうきびしいこと言ってるんだよね。禅のように。

だけど、今ならわかる。
それが、同じ意味なのが。

時代もちがうけれど、今の私にとっては
キリストもブッダも同じことを言ってる似た人物だったような気がしてる。


プラユキ師との会話で、それでも目の前の困難にぶつかっている人には、
そんな悟りの話は意味がないということになる。
目の前の借金、日常の虐待、逃げられない過酷な状況……

確かにそういう場合は、まず話を聞いてみる。
そしてお寺の静かな生活の中で、恐ろしい経験を振り返る余裕を持たせる。

プラユキ師は本当にとてもおだやかな方だった。
声の響き、存在の和らぎ、口を開くだけで、聞く人に安心感をもたせる人だ。
見る人が見れば、たぶんオーラがちがう、相当輝いて見える人だと思う。

「~だよね」と状況を認めるようになり、
そのことを冷静に受け止めるようになれれば、
自分が変わってくる。
この静かなオススメ事項は、素直に聞ける。
そして、とても簡単におだやかな毎日への足がかりになる。

魚川氏は今、どのくらいの立ち位置にいるのだろう。

悟りへの涅槃の道を説く方がよいのか、
それとも衆生へおだやかな毎日を説く方がよいのか。

先日のセラピストであり非二元論の理解者でもある溝口あゆか氏は、
涅槃を知っている方が明らかに導きやすいと言われていたと思う。

ダイレクトパスというやり方は、一瞬で涅槃の世界に気づかせて、
いきなり八正道をマスターさせてしまう。
奇跡のコースも一足飛びに駆け抜けてしまう。

そんなやり方もあるのだろうし、
プラユキ師の導き方は、知らずにダイレクトパスに導いてるのかもしれない。

こういう話は、おもしろいなと思う。
そして、物理学者の「ホログラフィックユニバース論」を読むと、
さらに日常が変わって見える。
私達の毎日はやっぱり夢なんだなあ。
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by wakeup71 | 2015-12-07 01:44 | 日常生活 | Comments(0)