気づきの覚え書き

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カテゴリ:日常生活( 53 )

気づきの扉

昨日の羽生君のケガがあって、ふと自分の状況を見直してみた。

ほら、前回の記事に「病気になっても出勤する」とあった。

・・・・・・(事実、自分も声が出なくても出勤してた)

ほんと、つながってるんだよな。日本人、無理してるかもしれない。

外国の人は、ここまで無理しないだろう。

羽生君だけじゃない。熱があっても仕事に出てる人は大勢いる。

むしろ、日本じゃ、それ当たり前?になってるかもしれない。

がんばる気持ちはわかるけど、なんで体の声も無視してしまうんだろうな。


それも、愛のかたちのひとつ なんだろうか。

私たちは劇的な努力が好きなんだろうか。

いいんだ、そんなに責任というものに、美徳を感じなくても。

日本全国のがんばってる人たちへ。もう、無理はやめてほしい。

病気も、ケガも、ほんとは心の深いところからのアピール。

意識にのぼらせても、無視されるから、具合を悪くさせなければいけなかった。

もっと余裕のある毎日を送ってほしい。

私の職場の人たちにも、それを言いたい。


だけど、そうだよな。世の中がゆるさないというんだろう?

がんばらないと不安になっちゃうんだろうな。

お金が入らなくなって、会社も仕事がへって人を雇えなくなったり、

わかるよ、誰だってそれは怖いものな。

だけど、ほんとはもう少し気持ちにゆとりがほしいよね。


どうか、もうみんなに無理をさせないでください。

みんなが不安にならずに、にこにこした毎日が送れますように。

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いつも参考にさせて頂いている There Is No Spoon さんのところで、

ちょこっと横に紹介されていた 気づきの扉 という本を買いました。

なんとなく装丁が素敵だなと思って。ほんの出来心で。

うすくて、まるで繊細なレースの包装のプレゼントのような本が届きました。

そして、中はなんとも優しい 思いやりでいっぱいの非二元論。

とてもわかりやすかったです。まさにダイレクトパス。



この本だったら、きっと悩んでいる中学生だってわかってくれる。

みんなの笑顔がみれる世界になってほしい。

働くことが笑顔になれる世界になってほしい。

どうか、世の中がひっくりかえって、

内側が外側にひっくりかえって、

どんでん返しがおこってほしい。

今まで、不安だったこと、怖かったことが、

ただの夢だったって、思えるように。

ぐりんって、ひっくりかえれ。
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by wakeup71 | 2014-11-09 22:47 | 日常生活 | Comments(0)

反省しない人は嫌われる

職場に注意されても反省しない人がいると嫌われる。

かなりこっぴどく怒られても、ケロリとしていたり。

だんだん、その人の顔をみるのもイヤになったり。

これ、なんでだろう。


とくに新入社員の中に、そんな人がいたら、

そりゃあもう、先輩からヤリ玉にあげられる。

これ、なんでだろう?


だけど、本来さ、人間ってそんなに暗くならなくてもいいはずだ。

叱っておいて、相手がうつ病になることを望んでる人もいないだろう。


いろんな職場で、新人さんがくるたびに、

これを繰り返していることがある。

「アイツは、反省してない」

「空気読んでない」

「成長がない」

そうやって、結局、その人は辞めていく。

人手不足がまた始まる。


これ、なんでだろうな。


でも、たぶん、その職場にいる人たちにとって、

その新人さんは、

うらやましいところがあるんじゃないかな。

本当は、誰だって反省なんかしたくない。

誰だって、自分は正しいって思いたい。

そんな態度を少しでも、新人さんがしようものなら、

即、「アイツ、だめ」の烙印。

それ、自分に赦してこなかった姿だから。


忙しい職場では、いつもぎりぎりまでみんな我慢してる。

病気になっても出勤する。

休憩もらえなくても、残業代もらえなくても、

最善を尽くして、仕事をしている。

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そんな、おそろしい日本の職場に、

似つかわしくない、新人さん。

嫌われる。

だけど、それは、本当は、

きびしい生活を送っている先輩方からみれば、

うらやましい姿なんだろうな。

仕事を続けるために、いろんな気持ちに耳をふさいできた。

大切な自分の身を削って、がんばってきた。

だから、素直な自分に正直で不器用な新人さんをみると、

腹が立ってしかたがない。


そんなふうに腹が立つ間は、きっと、

その職場には、また、腹が立つ新人さんがやってくる。

またいじめて辞めさせても、またそんな新人さんがやってくる。


なぜ腹が立つのか?その謎がとけるまで、

その循環は続くんだ。

だれか、それに気づいて、新人さんの姿が、

自分があきらめてきた姿だと気づいたとき、

循環は変わる。

「ああ、自分が初めてここに来たとき、おんなじように感じたな」


新人さんの姿は、まだ仕事に揉まれていない自分の姿と同じだ。

そう思って、赦したとき、循環は終わる。
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by wakeup71 | 2014-11-02 18:13 | 日常生活 | Comments(4)

星野源さんと非二元論

非二元論は、もはや現在のスピリチュアルでは当たり前のようだ。

善も悪もないなんて話、ちょっと前はまったく受け入れられなかったのに、

この頃では、いろんな人がそのネタをつかう。

ネットの中にもその情報が増えた。

俳優でミュージシャンでもある才能が開花しまくっている星野源さんの歌。

歌詞はほとんど非二元論を歌っているように思える。

きっと到達した人は、もうこの世界にいる意味がない。

なぜなら、人間界はほんのちょっとした神の夢(エゴ)でできた世界で、

何度も輪廻して、こじらせることもないからだ。

で、そのせいか、星野さんは何度も生死をくぐってきてるようだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・
非二元論が本当に身についたら(悟りをひらいたら)

この世界はどんなふうに見えるのだろう。

最近読んだ「わかっちゃった人たち」の経験談は、

わかっちゃっても、そんなに変化はないというのが答えのようだ。

もしも星野さんがわかっちゃった人だとして、歌にどんなふうに現れているだろうか?

そして、彼の人生にはどんな影響がでているんだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『夢の外へ』

夢の外へ連れてって
ただ笑う顔を見させて
この世は光 映してるだけ

~中略~

夢日記は開けたままで
夏は通りをゆく
嘘の真ん中をゆく

…………

これには最初、びっくりした。
探求の末の結末が
気楽に歌われている。

この世は「夢」だ。
私たちはただの夢をおおまじめに、
悩んで苦しんで生きる実感をあじわいながら、
一生を過ごす。
でもこの「夢」の発端はすべて自分の中にある。


『地獄でなぜ悪い』

~中略~

無駄だここは元から楽しい地獄だ
生まれ落ちた時から出口はないんだ

~中略~

嘘でなにが悪いか 目の前を染めて広がる
ただ地獄を進む者が悲しい記憶に勝つ

…………
その通りだった。

この世は神様がつくったんではなく、
人のエゴでつくった世界。
神にさからったという罪悪感から生まれた世界。
だから地獄であることはまちがいない。


『フィルム』

~中略~

どうせなら 作れ作れ
目の前の景色を
そうだろ

…………
フィルムという題名からして、
もうよく言われる例えを思わせる。
映写機の光を通ったフィルムは、
そこにあるような現実をみせる。
でも、それは嘘なのだ。
目の前の景色は自分で作ったもの。
心の中が外に映されたもの。

........................

その他にも、たくさんある。
星野さんの歌の中にある、非二元論へのヒントを集めたらきりがない。

彼は本当に悟っているのか?

たぶん一度はそれを経験したかも。

彼は自由の森学園にいた。

あの学校なら、哲学でも非二元論を学べそうなものだと思う。

だが悟っても、実は悟ってない人とほとんど変わらない生活をおくる。

ならば、見た目にはわからない。

ただ、PVでときおりカメラ目線になるとき、自分をみてるような気になる。

見る者の心に懐かしさを投げかける。

こんなふうに、目が合うと「いつかの自分?」のように感じさせる人は、

たぶん心に壁がない人だ。

私の場合、そう感じるのは、覚者だ。
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by wakeup71 | 2014-10-23 02:04 | 日常生活 | Comments(0)

Advaita

What is meaning “Advaita” ? It is “monism” in English.
This is a India philosophy word spiritual.
I knew it recently.
It's meaning the world has nothing of "Bad" and "Right".

I feel the world changed since I knew these thing.
Because the world made by my mind.
I live in this world, so this world affected by my mind.
As many heads, as many worlds.
In this dimension, the inner space became the monism.

Until five or six years ago, the dualism was natural for me.
I believed in the knowledge of God and Evil.
I always decided good thing or bad thing.
I easily judged a person.

But I'm not the same person anymore.
All people are not separated, we are oneness.
All woman's thinking is mine and then all man's thinking is mine.

It reminded me an amazing experience.
The days of quarrel with my husband were very long.
I thought that I should not have married my husband.
At last I intended to be finally divorced, my younger daughter said "I want to not divorce Mama and Papa".

I love her very much.
I noticed my husband is the most important only father for her.
I tried to change of my mind.
I guessed my husband's mind. I guessed considerably deeply.
More deeply, more deeply, more deeply…

At last, I felt myself to become a man.
I understood the feeling of the man very clearly.
It was a very mysterious phenomenon.
I became him then.

I lost anger for him really.
I allowed all his doing.
It was very natural for me.

What a Strange experience!!
I understood the feeling of the man sexually then.
I understood the feeling that a young woman is good.

And his feeling of his work, I saw.
I understood he was very tired.

And I understood as if I became him.

Since I forgave his all, my life became calm.
It's so peaceful.
I don't hope to him anything, anymore.
It’s not Love. But it’s peace.
I don't have much fun every days.
But I may call it happiness.
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by wakeup71 | 2014-10-21 01:20 | 日常生活 | Comments(0)

「バガボンド」を読みました

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井上雄彦氏の漫画「バガボンド」を読みました。
 まったく、遅ればせながら・・・

いつも絵に惹き付けられていましたが、
夢中になっている時間はない、と思っていました。

それがコンビニに並んだ37巻を見つけたとき、
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武蔵のこの表情、この構図から、なにかどうしても読まなければいけないような、
すごい引力を感じてしまい、1冊買ってしまったが最後、すべて手に入れずにはいられませんでした。

本当にすばらしい漫画でした。
表紙には一応、吉川英治氏の「宮本武蔵」が原作とあります。
もっとも、ストーリー的にはずいぶんアレンジしてありました。
だけれども、いっそ漫画の方が実際の人物に近かったのではないか?と
思うほど、迫力があります。
現代で、私たちが思い描く武蔵の姿はさまざまです。
漫画ですから、どんな内容でもアレンジは自由です。
今では、どんなストーリーを書いたとしても、すべてフィクションです。

でも、井上雄彦氏のこの武蔵は、本当に血の通ったそこに居る人間のように感じてなりません。
このリアリティはなんなのだろう?と。
もちろん、このすばらしい絵(芸術の域)のせいでもありますが、
この絵を描くための井上氏の仕事の流儀がNHKの番組でも紹介されており、
その集中力に驚きました。ごらんになった方も多いだろうと思います。

漫画のもとになるネームは、本当にその時の武蔵の状況や心情に達するまで、
じっくりと井上氏の中で練られます。
締め切りの前日まで、絵が描かれないことも・・・
その集中力は、たぶん時空を超えて、武蔵の気持ちに至っているだろうと思います。
あるいは、武蔵のように生きた人、生きている人物に達しているのだと。

ものを作り出すときは、できるかぎり本物であれ、とよく言われます。
事実に近いものであるほど、作品には命が吹き込まれます。


しかし「バガボンド」はそれだけでは、ありませんでした。

それは、このごろになって、ようやく私も気づくことができた、
無我について語られていました。

武蔵は、たくさん人を斬ります。
人を斬って、斬って・・・

こんな経験は、現代の私たちでは滅多にありません。
漫画でも、リアルな経験のようになります。
このような経験をしても、なお、どう生きていったらいいのか。

究極の生き方を考えさせられます。

一方で、最新刊に近い巻になると、武蔵はまるっきり反対のことをしています。
飢饉にある集落を救うため、稲を植え始めるのです。
37巻には胸をしめつけられるほどのシーンがたくさんありました。

「人間はどう生きたらいいのか」

武蔵のつぶやきは、そのまま、自分の心にかえってきます。

漫画を読みながら、自分の心を観察します。
人を切ったとき、どうだったか。
子どもを救うとき、どうだったか。
飢えるとき、どうだったか。
土をたがやしたとき、どうだったか。
種もみを植えたとき、どうだったか。
稲が育ったとき、どうだったか。

言葉にならない、感覚を追うと、
心臓がじんじんするような感覚に出会いました。

「?」

もしかして、経験はいつも同じなのか?
同じ感覚であったのか?

漫画では、小次郎の生き方と武蔵の生き方は、
人を切るとしても、まったくちがう動機でした。

でも、その時の感覚は同じ。

じんじん。

殺戮のシーンでも、食事のシーンでも、
稲を植えるシーンでも、喧嘩のシーンでも。

じんじん。

これが、人間が存在する意味なのか、と思います。

人を切る行為も、苗を育てる行為も、宇宙にとっては同じ意味なのかもしれません。

「バガボンド」はまだ終わっていません。

武蔵はどこまで悟るのかな・・・
見守っていきたいです。

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模写でもしながら・・・
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by wakeup71 | 2014-08-09 18:38 | 日常生活 | Comments(0)

To married people

I found these documents today.

Prayer is a stepping aside; a letting go, a quiet time of listening and loving.
It should not be confused with supplication of any kind,
because it is a way of remembering your holiness.

These are explanation about the prayer.
I think "marriage" is something like "prayer".

It should be "prayer".
I think so.

It's not "scramble".
But almost "marriage" is scramble for energy each other.

For example, to add a limit to the action of a partner,
to angry to a partner,
to cry to partner and to be reliant,
etc.

If you find yours those doing, you should stop.
It is a demand to want your partner's love.
(It is scramble for energy of your partner)

So that's right...

Marriage is a stepping aside; a letting go, a quiet time of listening and loving.
It should not be confused with supplication of any kind,
because it is a way of remembering your holiness.
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by wakeup71 | 2014-07-29 02:31 | 日常生活 | Comments(0)

花になれ(素人英訳)

指田郁也さんの「花になれ」はとても素敵な歌です。
スケートの羽生選手がエキシビションで踊るようになって、
多くの方に知られるようになりました。

突っ込まれるところばかりかもしれないけど、
英語にしたら、こんなふうなのかな~と思って、
書いてみました。

Can you smile now?

What kind of breath do you do?

You are bravado, in the crowd of people.

You never having lost, you will be walking.

The flower near your foot will live without getting lost.

Have life, be alive.

Now you are seeing your sky in the wind.

It is good to get angry.

Have your cry out.

You will find answer, anywhere.

Never give up.

Any tomorrow, any hard time,
your life is more shining.

There is one flower in the wind.

You can be the flower in the wind.



羽生選手がこの歌をどんな想いで聴いているか、
この動画で、車中から瓦礫の山を見つめるシーンをみると胸に刺さる。

「勝つ」ということだけにこだわってスケートをしてきた彼の顔が、
オリンピックを経て、数々の人々に触れて変わってきたように思う。

「勝つ」ことから、

「生きる」ことへの問い。

生きていって欲しい。
みんな強く生きていって欲しい。

原点に帰ることができる歌。

たくさんの人が、この歌をきいて、

強く生きていって欲しい。
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by wakeup71 | 2014-05-05 00:23 | 日常生活 | Comments(0)

スマイルの生き方

「ピンポン」という松本大洋さんの卓球漫画があります。
最近、深夜アニメでやっていることを知って、
録画してみています。

著者は意図してないのか、意図しているのか、わからないけど、
とても禅的な青年がキャラクターとしています。
それが、スマイルくんです。
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彼はとても卓球がうまい(らしい)。
知る人ぞ知る、天才的なプレーヤーです。
登場人物の卓球の先生や年季の入った達人だけが、
彼の才能を見抜いています。

でも、それは見抜かれているけど、証明されないのです。

なぜなら、

彼は

勝たない。


彼にとって、「勝つ」ことより、もっと大事なことがあるのです。
(ええ、たぶん)

先生や達人たちは、それを、
いくじがない、とか、
いやな性格、とか、

そんなふうに言います。

見ていて、私も歯がゆい気持ちです。
どんな強敵にも勝てる実力があるのに・・・

あえて、

勝たない。

さて、

これは、「負け」でしょうか。


スマイルくんは、いつも、試合をしていて、
相手の心を読んでいます。

読みすぎて、心理状態を把握してしまいます。

すると、打てなくなるのです。


これは、もう、

すごいことです。


以前、ある本で読んだ、アボリジニの子どもたちが初めてサッカーをしたときの話を思い出します。


2チームに分かれてサッカーをしますが、
どちらかがずっと「勝つ」ということにならない。

「じゃあ、次はこっちのチームが勝つようにやろうぜ」

という提案があって、サッカーはいつまでも順番勝ちとなります。


この提案はどんなものでしょうか、現代の世の中にとって。

現代社会にとっては、ありえない提案ですよね。

だれだって勝ちたい。
勉強だって、
運動だって、
会社だって、
企業だって。。。

誰かを倒して、勝つのが当たり前。

教育でさえ、その原点には勝つことが求められます。
本当に、残念ながら。

勝ったものに対して、現れるのは、かならず、

負けたもの。


いつまで、こんな世の中続くんだろうな。



「ピンポン」のスマイルくんは、

そんな世の中を超越したところにいます。
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by wakeup71 | 2014-04-29 09:18 | 日常生活 | Comments(0)

2514年のオリンピック

2514年2月5日

さて、いよいよ4年に一度の冬季オリンピックが始まりました。
今年の開催地は、500年前の開催地と同じ、ソチとなりました。

そこで、2014年のオリンピックを振り返りたいと思います。
国境のない今では、オリンピックは民族の優劣を競い合うものではなく、
それぞれのスポーツの能力を認め合い、高めあう祭典となっています。

資料によると、当時の地球にはまだ国境があり、
オリンピックは国同士の戦いでもありました。
もっとも戦争に比べればずっと平和的で、スポーツで点を競い合うものでしたが、
2514年現在と比べれば大きく構成の違うものでした。

メダル争い(1位~3位までの選手に金銀銅のメダルを授与する習慣)が
主だった目的であった当時は、メダルのとれなかった選手は落ち込んで、
涙と共に国へ帰るということが多かったようです。

「国」「祖国」という意識が異様に強い時代だったのです。
2514年の現在では信じられないことです。

今では潜在意識が私たちのすべてであると気づいた人類は、
だれのどんな経験もみんなの経験となるので、何事もシェアする文化となっています。

現在の我々のオリンピックはは、たとえ競技中でも、すぐに相手の心情が伝わり、
おたがいに技術をシェアしあい、高めあうことを喜びとします。
シェアすることで、技術や能力はより高く進歩し、
また自分を深め広げることができます。

しかし、人類のほとんどが個の意識が強かった時代では、
オリンピックは戦いとなっていました。
もちろん当時は、オリンピックだけでなく、
何事も奪い合わなければ生きていけない状況でした。
経済(貨幣の存在)や身分(上下関係)国(地球を境界線で分けたもの)など、
さまざまな区分があり、生きること自体が相当ハードな時代でした。


しかし現在のようなオリンピックになったきっかけは、
この2014年の冬季オリンピックのある選手の存在であるといわれています。

それは日本という国のフィギュアスケートの競技選手である、
浅田真央(あさだまお)さんという人でした。
彼女は、2回の演技の中で、1回目に自己最低点を記録しました。
それは、「日本」という国の人々にとって、かなり落胆するものでした。
というのも、浅田真央さんは優勝候補(当時でいえば金メダルというもの)を
期待されていたからです。
金メダルというのは、国全体に活力を与えるエネルギーのようなものでした。
「金メダル」という意識自体のまとまりが大きかっただけなのですけれども。

けれども、当時の人々は「金メダル」をとれば、
みんなが幸せになり(戦争に勝ったように)、
経済(貨幣で物資を奪い合う構造)が活発になる、
さらにオリンピック選手(戦士?)が育つ、というような
勘違い文化を信じていました。

しかし、浅田真央さんの1回目の失敗は、
完全に「金メダル」を期待できないものにしてしまいました。
日本国民は一夜にして、戦争に負けたように真っ暗になってしまいました。
ほんとうに、なんとおろかなことだったのでしょう。
でも、少しずつ多くの人が気づき始めました。

私たちが欲しいのは、金メダルじゃない。
真央ちゃんの笑顔だ・・・ということです。

これは、当時の人類にとっては、画期的な気づきのひとつです。
奪い合いが当たり前だった社会で、誰もが優しい気持ちをもって、
選手をみることができたのです。

翌日の2回目の演技で、浅田真央さんは逆に最高の演技をすることができました。
それは、まるで奇跡のような出来事でした。

2514年の人類の間にはプレッシャーとなるような期待や、
勝ち負けの区別をつけるスポーツは存在しません。
強いて「勝ち負け」という判断をつけるなら、
いかにそのスポーツ能力を広めたか、ということが評価となります。

現在のわれわれは「得たいのなら、すべてを与えなさい」という、
キリストの言葉が当たり前になっています。

そして、この2014年のソチで開かれたオリンピックで、
この精神の芽吹きが見られたのです。

2回目で最高の演技をしても、浅田真央選手は金メダルもその他のメダルも、
とることはできませんでした。

しかし、日本中の人々が歓喜にあふれ、真央選手を讃えました。
その人々の歓喜のエネルギーを真央選手もしっかりと受け止めました。

このすばらしい愛(意識のエネルギー)の交換は、
メダルだとか物質的な計りではない、すばらしいものがあるのだと、
人類に気づかせるものになりました。

2014年のオリンピックを境に、
日本国民は以前ほどメダルを意識しなくなりました。
のびのびとした感性でスポーツを讃えるようになり、
勝負の行方を追い続けることに重きをおかなくなりました。

これは、結果的に多くの選手にポジティブな精神を根付かせて、
本来喜びであるスポーツを思い出させることになりました。

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by wakeup71 | 2014-02-22 23:01 | 日常生活 | Comments(0)

オリンピックをみて思うこと

ソチオリンピックで、メダルをとったりとらなかったりで一喜一憂します。
勝負に負けてしまうときは、ほんとにわずかなミスが多いです。
中には、金メダルをとってさえも、ミスをあやまってしまう選手もいたりして。

オリンピックではないけれど、自分の日常も毎日の仕事は真剣勝負。
たぶんほとんどの日本人がそうですよね。

ミスはゆるされない・・・

オリンピックほど注目されてないけれど、日常の仕事も、
ミスをおかさないように私たちは気をつけてます。

もう、国単位でなにか不始末があると、大変なことになります。

ミスをおかさないことで、社会が正常に動く、物事が正しく納まる。

そんなふうに自然と考えてしまいます。

だからいつも「ミスしちゃダメ」と警戒態勢です。

警戒態勢が強いほど、ミスをおかした人は責められます。


でも、ここで気づくのは「ミスをおかした人を責める」ということが、
なんの役にたつだろうかということです。

一方でヒューマンエラーは当たり前という考え方があります。
「ミス有りき」で、フォローを前提にした体制づくりがあります。

また、本来「ミスをおかす」ことが、本当に悪であるわけもないです。


職場で、いろいろな個性があり、
のんびりした人やあまり気が利かない人もいます。
みんなそれぞれの長所があり、短所があります。

ある人の行動や態度に、かちんときた時、
逆に考えると、自分には「その行動や態度」が足りなかったんじゃないか?
と振り返ると、実にまったくその通りです。

ミスをゆるさない風潮は、生真面目社会の日本の特徴でもあります。


オリンピックをみていて、自分がカチンときたり、がっかりしたとしたら、
それは、その状況を受け入れることができない「自分の心の反映」なんですね。

そのことを気づかせるための経験だったわけです。

そして、それが私の足りないところだったわけです。


日本人は、もっとのんびり生きていい、と私は思います。

生真面目なところが、いいところではあるけれど。

それに気づいたとき、もっといろんなことが赦せるようになる感じがします。

天命に全部託すことができるようになるといいのにと思います。

それがきっと、新しい進化。

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by wakeup71 | 2014-02-20 06:24 | 日常生活 | Comments(0)