気づきの覚え書き

wakeup71.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:スピリチュアル( 34 )

ストーリーの終わり

まさかと思っていたけど、とりあえず潜ることになった。
Kが経験したいと言って、飛び込んでいった後を追うことに。

それは危険と言われていたプログラムだった。
八方塞がりで、感覚を閉ざした世界。
無力感にさいなまれる、恐ろしく制限のある冒険。

Kは、自信たっぷりだった。
大丈夫、自分は余裕で戻ってこれるって。
光に満ち、永遠の安定が続いている生活がつまらなくなったらしい。

だけど、万が一、少したっても戻って来れなかったら、
追いかけて来てくれないかと。

プログラムの映像は、遠い地球という星をシミュレーションしている。
真っ暗な洞窟のような宇宙に小さく青く光る星。
黒く広がる映像に飛び込むのは、かなり勇気がいることだ。

しかも、飛び込んだが最後、そこがプログラムだということを忘れてしまう。
映像の中では、なんの保障もない。

その真っ暗な世界で、いったい何を経験しようというのだろう。

しかし約束は約束だ。思い切って映像の中へ突っ込んだ。

長く暗いトンネルの中をくぐりながら、
これは映像の始まりだと、まだ覚えていた。

そして、頭が締め付けられるような感覚があり、
薄暗い世界に飛び出ることになった。
声をあげずにはいられなかった。

絶叫するように叫びながら、ほんのわずかな記憶の片隅で、
「Kはどこだろう」という疑問が浮かんだ。
すると、そこにいた。
Kは、大きく、私を抱き上げた。

もう、それが最後の記憶であった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

どれくらいたっただろう。

Kは年老いた。長いこと床についている。
目をつむったままだ。心音だけが続いている。

私もまだ、この世界が映像であることを思い出せなかった。
必死に育ち、必死に働き、なんとかやってきた。

このプログラムほど、スリルとサスペンスの連続ストーリーはない。
パンチが強すぎる。

私はすっかり全てを忘れて、そこに埋もれていた。
ミイラ取りがミイラになったのだ。

救いだしてくれたのはKだった。

Kの床の回りにみんな集まっていた。
もう最後だと言われ、みんなKの顔を覗き込んでいた。

一瞬だけ、Kは力強く目を開けた。
そして、私にこう言ったのだ。

「おい、もどるぞ」

その目の光が、私に全てを思い出させた。

Kは、ストーリーから抜け出した。

誰もが泣いている。

しかし、私は・・・


笑い出しそうになるのをこらえた。


Kは、なんとか無事にもどった。

肉体がまだ若いので、私は傍観者としてそこにいた。

不思議だ。記憶を取り戻すと、この薄暗い世界は不思議だ。
全て茶番であるにもかかわらず、
誰一人、茶番であることに気づかない。

・・・・・・・・・・・・・

葬式が終わり、薄暗い世界の日常がもどってきた。

興味本位でホラーマンガを読むように、
楽な気持ちでいたらいい。

誰かが電車の中に置き忘れたマンガを手にとってしまっただけなのだ。

ずいぶんエグいマンガだ。

自分のストーリーだけは最後まで読むしかないけど。

時にはほっとする光景もある。

d0166615_19333875.jpg


あの光に満ちた永遠の安定の世界に比べたら、
100億分の1にも満たないが。

マンガの中に入ったことは奇跡だ。
こんな経験は2度とないだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

やがて、時間というものが流れ、

私も床についた。

もうすぐ私のストーリーも終わるらしい。

またKの笑顔をみることができるだろう。

そして、この薄暗いストーリーの私も、

かき消されてしまうだろう。

記憶もなくなってしまうだろう。

不思議なストーリーが終わるのだ。
[PR]
by wakeup71 | 2016-05-28 19:33 | スピリチュアル | Comments(2)

それでもできることは?

このところ、デイビッド・アイクさんの本を読んでいる。
非二元を知らなかったら、まったく読めなかった本だ(笑)

単なる陰謀論だろうか?さてこれは真実だろうか?

けれども、この世界全体が夢なので、真実ではない。
存在してるのは、今生きている感覚だけで、
もしも、これらのことが何か証拠があったとしても。

通貨の世界も、夢である。
もしかして、家族すら夢かもしれない。
感覚も思考も夢だという。

男も女もない。
人間もいない。
自分もいない。

それならば、現在という感覚はなんなのだろう?

陽に照らされる草花。
風と飛んでいく鳥。
青い空。

生活の音。
せつない歌声。
音楽。
アート。
ひたすらに描くこと。

これらは、ぜんぶプレゼントか?

夢の中でしか感じられないもの。

これこそが、ほんとうの豊かさ。

経験が、経験こそが。
d0166615_12113972.jpg


気づくことだけが、できること
[PR]
by wakeup71 | 2016-05-01 12:12 | スピリチュアル | Comments(0)

みつろうさんライブ

巻貝の中に迷い込んだような、ミューザ川崎のスパイラルホールで
さとうみつろうさんのライブを聴いてきました。

本来なら講演半分のところ、会場の都合でほとんど音楽を流していなければならないという制限の中、
みつろうさんの愛のこもったラップ(高邁な?お話)が響きました。

変な日本の制限。先日の阿部さんとみつろうさんのコラボでは、音楽を鳴らしちゃいけないKFCの会議室。

反対に音楽ホールでは話しちゃいけない。この融通のきかなさ。
まさに二元性の世界ならでは。

それだけあって、スパイラルホール(シンフォニーホール)は実に響きがよかったです。
なによりも、純正律のエラールのカノンが聴きたかったというのがありました。
みつろうさんの言う純正律の音がとてもよくわかりました。

本当に、ちがう・・・・(音楽素人にとって、これが分かったのが嬉しい)

私達が普段聞いてる音楽の音って、どんな影響を与えてるんだろうか?

私はかねがね絶対音感というのが苦手で、メロディーは覚えても、子どもの頃から、どうも正しい音感で歌えないという癖があります。
だけど、これ、もしかして自分は、純正律だったのかも???(苦笑)

その美しい音色はこちら←で聴けます。


それにしても。


もっと今回驚いたのは、みつろうさんのダイレクトパスです。

そう、あれ。みんなが憧れてる、あれ!

本当の私に気づくダイレクトパスです。

最初は、1つの青い玉を見せて、

「これが世界が始まる全てがつまった完全な世界、
 特異点とすると・・・
 
 不完全な世界を経験するには、玉がもう1つなければいけない。
 もう1つがあれば、経験ができる。
 2つに分離すれば、もう1つに気づける」

 
カノンの音に乗せて、さりげない問いかけがありました。

自分の頭を指差して・・・


私が私であることに気づけるのは、

本当は私が私でないから。


そうだ。

悩み苦しんでいる自分に気づけるのは、
誰かもう一人別の自分がいるから。
(エックハルトトールの気づき)


自分が明らかに分離したような、
5cmほど分かれた自分を感じさせました。

いつも体験をしてる自分と、それを応援してる自分。

つらい思いをしてる自分。それを「がんばれ」言ってる。

そう、その「がんばれ」言って見てる人。


急にぼんやりと、幼稚園の頃の、
自我意識が芽生える前を思い出しました。

「ふーん。今日はこんな調子なのね」

そんなふうに感じていた。

いつのまにか、観察してるだけだったのが、
私という1人称で、すっかり同化してしまったんだ。


何を悩んでも、何を計画して、挑戦しても、
すべて決まっていたことで、

ゆるされたのは観察することだけだった。
ほんとうは。

そのかすかな記憶。

長い一人の人生ストーリーを経験するために、ここにいること。




・・・・・・・・・・・

純正律のあと、ゆんゆんゆん を歌いました。

君に会いたいよ。誰に馬鹿にされようとも。

これは宇宙人を呼ぶ歌でしたね。

前記事から、私にとって、会いたい人はダ・ヴィンチ。

彼は人間ではなかったのかもしれない。




だけど、絵には愛を感じる。

わからないことがまだいっぱいある。



みつろうさんは、いろんなこといっぱい知ってるのかな。
[PR]
by wakeup71 | 2016-03-28 01:27 | スピリチュアル | Comments(0)

地下からの手記

地下生活になってから、どのくらいたっただろう。
人間時間で言えば、ざっと500年ほどだろうか。

菜食主義を通しているので、表には出られない。
だが、彼らをいつもチェックしている。

さて、想像してみてほしい。

もしもあなたが、たくさんの豚やひつじや牛を放牧している牧場主であるとしよう。
よりよい肉質、より健康で自然に育った家畜を育てたいと思うだろう。
乳を搾り、より良質な牛乳やバターを作りたいと思うだろう。

放っておいても、増えていくように自由な土地を与え、自由に育てる。
彼らがより楽しく命を生きていけるように。

楽しく共存し、できるならば畑を耕すことも手伝えるように、丈夫でかしこい牛を育てたい。

多少遺伝子操作をすれば、言葉もかわせるほど脳も発達するかもしれない。

そんなふうな広大な牧場をもっているとしたら。

さて、話ができるようになった家畜をどう思えるだろう。
殺せるだろうか?そのまま搾取できるだろうか?


もしもその広大な牧場で家畜たちが智恵をつけ、自分たちで社会を形成するようになったら。

自分たちで物を作り始め、平和により繁殖するようになったら。
思ったより、彼らの進化ははやく、知性を持ち始めた。

牧場主は彼らの前に、一見威厳があるようにふるまい、豊かな食物を与え、神としてふるまうことにした。
知性がある生き物は、宗教があると落ち着く。

家畜たちは自分たちで取引を始め、助け合って暮らすようになった。

牧場主は考えて、策を練り、なんとか彼らの社会を取り仕切れるように

お金の仕組みをつくった。

そのうちに、家畜たちは膨大な数となり、取りまとめるのは容易でないほどになった。
牧場主たちは、自分を助ける仲間を増やし、数人で家畜を仕切るようになった。

だが、その仕切るはずの牧場主が、家畜の社会を哀れむ気持ちが出てきた。


わたしは、地下から彼らの社会を見守ることにした。
今は、彼らの社会がおだやかに収束することを望む。

なにも知性がなかったころに、生き物は世界全体を感じて、
あるがままに生きていた。
たとえ死んでも、なにをうらむこともなく、運命を受け入れていた。

現在の彼らから、苦しみを生み出す知性を忘れさせてやりたい。

彼らの「自我」という知性を忘れさせて自然に帰してやりたい。

そしてこれらの世界全体が、地上も地下もなく、幻想であるということを思い出して欲しい。
牧場主ですら、実は家畜と同じなのだ。
命のエネルギーはひとつしかなく、それは幻想の遊びなのだ。

不思議だ。実に不思議だ。


もしも、本当に 神 というものがあるとしたら、

きっとそれは、なにも知らない、ほんの小さな子どもだったのだ。

われわれは、その子の夏休みの宿題なのかもしれない。

大きな水槽の中に、「二元世界」という課題を出されているだけの。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このごろ、はやし浩司さんという人が作られている動画を見ています。
非二元論を知らなかったら、こんな情報はとてもこわくて見られなかった(苦笑)
しかし、ありえないことではないなーという感想です。

ダビンチは今もまだ生きている

かなりの分量があるので、時間があるときでないととても見られません。
上の創作文は、はやしさんの動画から、生きているダ・ヴィンチのつもりで書いてみました。

学生のころも、今でも、絵を描くときにはいつも頼りにしていたダ・ヴィンチ。
もしも彼が生きているとしたら、会いたいだろうか?
どんな気持ちでいるのだろうか?
[PR]
by wakeup71 | 2016-03-21 16:56 | スピリチュアル | Comments(0)

私とは本当は何かを見る

今日は、初めてダグラス・ハーディングさんの実験を体験してきました。
1年ちょっとお休みされてた高木悠鼓さんのイベントが再開したのです。
これは、イベントの説明によると
ダグラス・ハーディングが考案した「私とは本当は何かを見る」ための実験をみんなでやり、
あらゆる存在に共通する本質を分かち合う会です。
詳しい内容はここにあります。
ダグラス・ハーディングについては前にも書いたことがあります。

簡単な自己紹介の後、高木さんのお話があり、さっそく指差し実験から始まりました。
これは、私が最初にダグラス・ハーディングの動画で試したものでした。
その動画で、私は虚空を指す自分の指を見て衝撃を受けました。

イベントではひとつひとつの実験の後、高木さんから感想や質問の声かけがありました。
これが、実はやはり初対面同士の日本人のイベント、なかなか声が出ません。
もう少し、率直に言ってみたらよかったなあと思いました。
この実験のとき、私は、

見るを見ている

という感じになりました。
自分というより、そこにあったのは「見る」という知覚でした。
そして、確かに自分の頭を見ることはできませんでした。
自分の顔を指差しても自分の頭を感じることはできません。
これを、頭がなくなる、といいます。

だれかの質問で、頭がなくなる、ということがわかりません、というのが出ました。
高木さんは、私もそうでした、とおっしゃり、
ではこうするんです、と提案して、頭を耳あたりから両手で触りました。

それは、つまり、知覚の方法が変わっただけなのです。

触るを感じている

私は、耳に温かみを感じました。
でも、自分の頭を抱えるように感じることはできませんでした。
頭は、やはりありませんでした。

その後、鏡の実験へと続きます。
手鏡に自分を映す。
というありふれた行為を、生まれて初めて鏡を持った幼児のように、
再体験します。
ありふれた行為を初体験に戻すには、ある程度、時間や覚悟がいります。

そこで、私は「自分でないような」顔を見ました。
顔が入らなくなるほど鏡が近づくとき、視野を再認識します。

再認識や再体験するとき、自分が生まれたてに戻ったように感じなおすと、
実験は成功しやすくなります。

その後の休憩時間中の高木さんの思い出話が素敵でした。
ダグラス・ハーディングはおバカさんか天才かわからなくなる、というのです。

彼はチョコレートが好きで、それをつまむとき、ずっと見てるだけだったものが、
クチに入れた瞬間、味覚に変わる!というのをとても新鮮な喜びをもって語ったのだそうです。

他の人がクチにいれるのを見ても、味覚には変わらないけれど、
自分のクチに入れた瞬間、味覚に変わる!なんてすばらしいことだ!と。

その知覚の変化!

私には、赤ん坊のようにはしゃぐダグラスさんの気持ちが感じられました。
その時、みんなで用意されたお茶菓子を一口づつ、つまみました。
そうです。

まったく、その通り!!でした。

「見る」 「つまむ」 「おいしい」


生まれたての赤ちゃんは、そんなふうに生きているのです。

子どもを、初めて芝生の上に座らせた時のことを思い出しました。
全身で喜んでいました。はしゃいでいました。

きれいな緑、ちくちくする、やわらかい、草のにおい・・・・



その後、紙袋の実験へと続きます。

これは、私はちょいとむずかしかった、と感じました。
やはり、初対面の相手とこの実験をするととても緊張してしまうのです。
相手を気遣うか、時間を追うか、それらのことが気になってしまうのでした。

ですから、これは、気心のしれた友人か、家族やペットとやってみるのがいいかもしれません。

それでも、とても研ぎ澄まされた時間だったので、
紙袋の中の相手のお顔が、高木さんが喋ると高木さんになっていたり、
自分を意識しすぎると自分になったり、
そんな感じがしました。

小さな紙袋の中の鏡をのぞく実験もやりました。
中には小さな顔があります。
見慣れている顔ですが、「これが自分?」という感覚がありました。
それは、もしかしたらたくさんの群集に混じっていてもおかしくない顔でした。
不思議な感覚です。


その後もいくつか実験しました。
なにかぼんやりしていますが、新しい感覚がひとつ増えたような気がしました。
でも、それはもともと持っていた感覚で忘れていただけなのでしょう。

なにもない空っぽの頭で空間を眺めることは、すべて立体映画を見るように新鮮なのでしょう。
天井も床も壁も、奇跡のように感じられるものだったのでしょう。

そんなこと、忘れていただけなのです。

きっと生まれたときはあんなに感動していたのに。

d0166615_23431887.jpg


as it were (まるで)

の世界ではなく

as it is (あるがまま)

の世界で
[PR]
by wakeup71 | 2016-02-21 23:44 | スピリチュアル | Comments(0)

3016年1月2日

あけましておめでとうございます。
新年もよろしくお願いします。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

というふうに1000年前は挨拶をしていたらしい。
現在では、挨拶どころか、言葉を交わすことすらない。
この人間という一見バラバラな意識の体験は、
ひとつの観察者意識であることがわかったからだ。

3016年の今は、ムダなエネルギーを使うことなく、
意識はすべて豊かな世界の創造として動いていく。
助け合い、譲り合いはあっても、勝ち負け、戦いはない。

否定したい外側の世界は、
自意識の否定したい側面が投影されたものであり、
気づいたら、すぐに統合され、
状況は、実を結ぶように解決されていく。


3016年の世界は、まるで一人で内面観察をしているようだ。

1000年前には当たり前のように流通していた、
「貨幣」というものは存在していない。
当時は「お金(貨幣)」という観念が、
多くの個人意識を握りつぶし、地獄絵図のような生活であった。
なぜ、あんなおろかなシステムが続いていたのか、
不思議で仕方が無い。
自分で自分の首を絞めるようなものだ。

1000年前の世界は、わざと苦しむ経験をするために、
極限まで縛りをつけた人間ゲームであった。


しかし、それに気づくきっかけは当時の分離社会に何度も現われた。

歴史の記述によると、それより2500年前に現われたブッダという人物が、気づきを伝えていた。
だが、その頃は個人の分離意識が強く、
人間同士が奪い合いをする世界だったため、
ブッダの口述はゆがめられ、宗教として利用されたり、
分離意識の孤独さから平安を求めた大乗仏教として誤った解釈で広められたりした。

その後も、様々な聖人が現われ、
気づきを広めようとしたが、うまく伝わることはなかった。
誰もが、苦しむ人間ゲームにはまり、
すっかり抜け出せなくなっていた。

しかし、ようやく2016年ごろから、気づきをわかちあう人が現われてきた。
戦い、奪い合うことが当たり前になっていた貨幣システムに、疑問を感じる人々も増えてきた。

ずっと平和が無い、ずっと生活が苦しい、生きることが苦しい、
そんな状況が続く世界が不思議に思えてきたのだ。


それは、まるで困難が用意されたゲームのようだった。
その世界で生きていく以上、浮き沈みがあることを
覚悟しなければならなかった。

だが、2016年を境に、気づいた人々は、ゲームに振り回されるのを止めることにしたのだ。
ゲームから抜け出すことは、彼らが求めてきた幸福や価値を捨てることでもあった。

裕福な幸せ。
欲望のままに愛情を求める。
良きもの悪きものを裁く。
美しくきれいなものを愛でる、
醜く汚いものを排除する。

彼らの理想は、常に逆のものを同時に存在させた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この世界が幻想であることに気づくのは自然な流れであった。

人生というものは映画のようなものだった。
喜びも悲しみも、快感も痛みもウソだったのだ。
体としての感覚も、五感も脳の感知も、
どれも、正確に物質を証明できるものではなかった。
世界は脳が作り上げたものといえる。

自己という個人も存在していなかった。
すべての生き物、物質、人々は、大きなストーリーの中の一部であった。
[PR]
by wakeup71 | 2016-01-10 23:17 | スピリチュアル | Comments(3)

主体も客体もない

主体も客体もないらしい。

はじめてそれらしきことを読んだのは、
奇跡のコースだ。

膨大な量をもてあまして、とばして教師のための項を読んだとき。

「教えることは学ぶこと」

それは、なんとなく、そうかもしれないと思った。
およそ、教師らしきことを経験したら、誰でもそう思うかもしれない。

だけど、これは、もっと濃厚な意味がある。

つまり、主体も客体もないということなんだ。


私たちの世界は、いろんなダシが入ったスープのようなものだ。

絶妙でおいしい。その中には、生徒役もいれば教師役もいる。

だが、スープはスープ。それひとつだ。


世界を眺めるとき、見えるものは同じスープ内でしかないと知ったら。

いとしく思うものも、にくく思えるものも、

ひとつの自分でしかないということだ。


溝口あゆかさんのブログから
ガンガジさんのエピソードを聞いた。

彼女の、病気にすらリラックスをなげかける言葉はすごいと思う。

なんでも受け入れるのだ。

それは、降参した人生のありかたであり、

また、この世はひとつだと認めていることだ。

非二元の立場でみつめると、物事はひっくりかえる。

先生も生徒もない。

私がみるものは私。

世の中は自分の投影でしかないのだと。
[PR]
by wakeup71 | 2015-06-23 01:13 | スピリチュアル | Comments(0)

夢の毎日とインターステラ(補足)

4月になって、実はいろいろなことがあった。
仕事も忙しかったし、健康診断なんかもあって、
桜が散るとともにすごい寒気もあったし。
体調を保つのがせいいっぱい。

それでも、このごろ非二元の世界が自分を覆ってきて、
日々新たな変化を感じる。
今では、あまり一時の感情や雰囲気に流されなくなった。
どんな人のどんな役割もある。
だが、その人の生命だけはみんなとひとつなのだと感じる。

私が昔、たくさん似顔絵描きをしていたとき、
人々の顔に現したかったのは、その生命だったんだろうな。
あの当時、ハイヤーセルフを描いてるとか、言われたりもしていたけど、
結局はそういう意味だったんだな。

この世界という奇跡を生きている。
勢いはとまらず、最近の非二元論本の出版の多さ。
自分が気づかなかっただけなのだろうか。
それとも、、、もしかして、
こういうことになるのも、あらかじめストーリーとして設定されていたのか。

あとくされなく、きれいに脱出するための準備としてのストーリーだ。

でも、「かぐや姫の物語」にあったように、
この世界は人の情けを知るための世界だった。

ピカピカの光と平和と愛に溢れた世界のままでは、
なにも経験できないと、あえて暗い部分を作らなければいけなかった。
それも潜在意識(自分)がやったことなんだ。

ハリーポッターやダレンシャン、スターウォーズの暗黒面がなければ、
ストーリーはおもしろくならない。
廃墟やゴミ捨て場が美しいと感じることがある。
それも元は同じところで作られたからだ。

それにしても、過酷な労働や、資本主義の競争の毎日に、
ゲームの主役であるマリオは疲れ気味。
休む間もないほどだもの。

それで、人の情けがいかに大事かわかりました。
もう十分でしょうよ。

ほんとは、みんなわざわざこんな世界にこなくったっていいのに。

それでも、ほんの思いつきで作ったにしては、
すごい技です。魔法としか思えない。
説明がつかなくて、量子力学は魔法の説明みたいだ。

魔法で一瞬にして作られた世界に生きている。
すごいことなんだな。

d0166615_18463177.jpg
と、書き終わったところで映画インターステラを見た。
これは感想を書かずにいられない。
海外のサイトだと、Spiritual とScience が
如何に関連してるか、よく記事を見つけるが、
日本では、まだまだ科学と精神論は、
切り離されて論じられる。

科学は、人間の精神や意思がどんなに
すべてのことに影響を及ぼすか、
まだ説明をつけてない。

この映画は、そこにきちんと向き合わせる。
さて、ここから少しネタバレになるので、
間をあけます。






ひとつだけ、難を言えば、
時間は重力とも関係ないんだろうな、
ということ。
でも、その設定はSF映画だから、仕方ないんだろうな。
ただ、最後の時間がいっぺんに見渡せるところは、すごく良くできてるー。
でも、本当は、もっと瞬間に起こってる。
いろんなインスピレーションを瞬間に受けてると思う。
はあ。よく出来てたなあ。

映画と同じこと、起こってるよなぁ。
最善の世界のために、時間を縮めるインスピレーションは、
たぶん、いろんな人がいっぱい受けてる。

主人公クーパーが最後の努力の果てに
4次元の空間が閉じてきている、という、
現象が起きる。
これは、今の状況とそっくり。
非二元が広まることが、時間の節約になる。
スタートレックでは、ワープを成功させることが、
宇宙の仲間入りとなるらしいけど、
それは、時間の把握が変わることだと思う。
時間は人の心にしか存在しないのだから、
科学と精神論が融合しないと、
乗り越えられないんだよーと勝手に思う。

それにしても、ひさびさにすごい映画を見た。
考えさせられたなあ



[PR]
by wakeup71 | 2015-04-12 18:48 | スピリチュアル | Comments(2)

世界に非二元論が浸透したら

世界に非二元論が浸透したら

もしもだよ、世界に非二元論が浸透したら。
時々、ふとそんなことを考えます。
もっとも、未来のことを言ったり考えたりするのは、
非二元論的ではないですが。

教育も変わるよな~

経済も変わるよな~

政治もなくなっちゃたりして。

あ、国境もなくなったりして。

今は、争って奪い合うのは当たり前になってるけど、
そんなの、自分の手足を食べてるみたいなものなんだ。

成績表つけたり、いい大学とか、試験とか無くなる。

子どもは、むりやりアイデンティティを覚えなくてよくなる。

誰ちゃん取ったらダメでしょ、ていうのも無くなるかも。

だって、相手の気持ちがわかるでしょ。

アイデンティティを教え込むと、とたんにケンカ。


経済は お金の存在が無くなるな。

飢えてる人がいなくなるな。だって、みんな救うだろうし。

必要なモノは、必要なところに自然といくようになる。


国別の意識も無くなるな。

オリンピックとか、変わるだろうな。

競い合っていても、たぶん勝ってる人に負けてる人の気持ちが伝わる。

勝負にならない(笑)


どんな世界になるだろう。

「アミ 小さな宇宙人」みたいな常識になるのかな。


時々、そんな夢みたいな空想が浮かびます。

だけど、今だってふと嬉しくなるようなこともある。


毎日ちがうメンバーで働く工場派遣だって、

さっと相手を気遣う行動をとってる人がいる。

見知らぬ人ばかりで、緊張してる現場で、

目の前にさりげなく道具や材料を置いてってくれたおばさん。

めちゃくちゃ感動した。おなじ派遣労働者だったけど。

当たり前だけどね、なかなか知らない顔同士ですぐにできないよね。


今の仕事でも、「やりますよ」って手伝ってくれる人をみると、

ほんとは、すごく感動してる。

「ありがとう」って言ってるだけだけど。


今だって、ハートがあったかくなる瞬間もあるんだよね。

そんなことが自然とできる人は、

なんにも学ばなくても、非二元なんだな。

たぶん。

未来の家はこんな花みたいな構造で全部つながってるのがいいなあ。
d0166615_13582687.jpg

[PR]
by wakeup71 | 2015-02-01 13:58 | スピリチュアル | Comments(1)

非二元と社会

年が明けました。2015年です。
ソチオリンピックに浮かれていた昨年がつい昨日のことのようですね。
この頃は書きたいことが浮かんでも、すべて自分の中の世界のことだから~と思うと、
筆が止まってしまいます。

先日遅ればせながら英語の先生から『金持ち父さんと貧乏父さん』ロバート・キヨサキ著を勧められました。
ネイティブの先生が日本にポツンとやってきたのは、この本を読んでからとのことでした。
彼はニューヨーカーでしたが、両親は移民で経済的にはけして楽ではなかったそうです。
この本のマネーリテラシーを学んで、生き方が変わったそうです。
さて、その感想文を書く(英文)宿題が出たのですが、どうも進みません。

ずいぶん前に書かれた本で、当時と現在では経済事情も変わってきましたから、
すべてが役に立つとも思えませんが、基本的なことは参考になります。

今の教育では、良い学校を出て良い会社に就職して
安定した仕事をするのが良い人生であるというような教え方をしてます。
その中に「どうやってお金を稼ぐのか、稼いだお金はどうやって使うのか」
というような教育はほとんどありません。

定番の教科書が使われ、社会にでて直接役に立つとも思えない知識で受験勉強をして、
大学までいっても、就職のときにはまったくゼロからになり、
勉強したことはとりあえずただの知識で終わります。

学校で素直に学んで先生に従ってきた人は、
会社の上司からは受けがよく、仕事になじむようになります。
給与が出ても、ほとんど天引きで社会保険料や税金がとられ、
働いた分の全額を手にすることはありません。
ところが、雇われる方から雇う方に立場が変わると、
税金を払う額はかなり少なくなります。
雇う方にまわることは、税金について言えば勝ち組になるのです。

この本に書いてあることは既にわかっている人は大変多いだろうと思います。

お金を手に入れたら、贅沢品を買ってローンや負債を増やす使い方をするのではなく、
それを資産にするような使い方をするべきだということです。
不動産を購入して転売したり、家賃収入を得たり、株式投資をして利益が出るように売買します。
すると、あくせくサラリーマン生活を続けなくても、早くリタイアして収入が得られるようになるのです。

さて、それならばどうしましょう?

私は精神世界の本を読みながらも、いつも社会問題を追いかけていました。
5年ほど前には、地域通貨や反貧困やベーシックインカムのイベントを開いていました。
教えて頂いた(株知識ばかりでない)経済専門家の方からは、お金にまつわる真実を学びました。

日本で動いている全体のお金のうち、9割はデリバティブ経済だと聞いたことがあります。
実態経済は1割です。デリバティブ経済というのは、株とか外貨の売買です。
実態経済というのは、生活必需品など人間生活に必要な生産と消費です。

つまり、本来は今の経済活動の1割だけが必要なもので、
9割はふわふわ浮いてる誰かの利益のために必要なものなのです。

『金持ち父さんと貧乏父さん』の話では、その1割のあくせく働く働きバチが、
9割のふわふわ浮いてる利益のために働いているという様子が見られます。

税金も社会保障費も、ムダに使われている部分が大きいと思われます。
税金は一年で使い切る予算をたてられ、膨大な額をむりやり消費されています。

また、サービス残業や持ち帰り仕事が当たり前になっている日本では、
その労働力が企業の私腹を肥やすために使われています。
企業の私腹も大きなデリバティブ経済といえます。

さて、勝ち組になるには、9割のふわふわ浮いてるお金をつかみとることです。
そうすれば働かなくても食べていける生活ができるのです。

そんな理解をしました。
私の今の仕事は、長い間就職活動をし、いくつもの希望をあきらめ、
どちらかといえば知識層が避けるブルーカラーの仕事です。

なぜならそんな仕事なら、就職できるからです。
早朝から夜も8時頃まで、休み時間無しです。
サービス残業も持ち帰り仕事も当たり前です。

しかし。
その仕事は、社会になくてはならない仕事です。
このような業種はどれも同じ条件ばかりです。
医療関係、介護関係、教育関係はどうしても必要な大切な仕事ですが、
なぜか賃金は低く抑えられています。
農業、漁業、工業など物を生産する第1次産業も利益の低い業種です。

もしも私がこの仕事を辞めて、デリバティブ経済でお金を得て働かなくなれば、
他の誰かが引き継ぐことになります。
その構図は、その代わってくれる働きバチが働かない女王バチを食べさせていくような感じです。
しかもそんな女王バチの利益が全体の9割のお金をしめているのです。

日本人はあまり気づかないけれど、欧米の何カ国かの人々は気づいて、
何年か前から、オキュパイ運動が起こりました。
「We are the 99%(私たちは99%だ)」をスローガンに
国民の1%にあたる富裕層が富を占有していることから出てきた言葉です。

私も富裕層となって恩恵を受けたほうがいいかなとも思います。
けれども、私は社会に必要不可欠な大切な仕事を忘れたくないです。
必要とあらば、すぐにでも体が動く人間でありたいと思います。

もしも9割の浮いているお金が、全体にばらまかれ、
1割の必要不可欠な仕事をみんなでシェアすることができれば、
おそろしいくらい仕事の時間は少なくなります。

第一次産業も、医療、介護などのサービス業も、一日4時間くらいの労働ですむと思います。
それ以外の時間は好きなことができる自由が与えられます。

ベーシックインカム(生活基礎保障)の財源はこうあるべきです。
ベーシックインカムとは、人間の生活に不可欠な収入を全国民に配布するという仕組みです。
それはたとえば1ヶ月8万円くらいと考えられます。

9割の浮いているデリバティブ経済のお金に税金をかけて、
それを全体の国民にばらまく生活基礎保障金とすればいいわけです。

ベーシックインカムの理由としては、社会全体の利益を共有しようという考え方があります。
今までの人間社会の発達で得られたさまざまな技術の恩恵を受けようというものです。
工業や農業、その他の生産力は人間全体の歩みから生まれたものです。
ならば、その恩恵をみんなで享受することが自然な社会ではないでしょうか。

今はその恩恵が富裕層に流れ、なおかつ、
生産力はとどまることを知らず、生活需要を超えて生産されています。
結果的に資源をムダ遣いすることになっています。

デリバティブ経済がもたらす恩恵は、ある意味、
発達してきた技術力の恩恵ともいえるかもしれません。
この恩恵を受けることは、不労所得となります。
ですから、働きバチがデリバティブ経済を利用することもあっていいとも思えます。

ただ、だからといって、現在の資本主義を基板とした、
経済的にも環境的にも崩壊している社会システムが変わるわけではありません。


けれども。
これらの考え方は非二元論的にみたら、まったく意味のないことです。
これらの社会へのアプローチは実はちがうやり方をすればたぶん成功します。

私が思うには、たぶん、非二元の世界に誰もが気づけば、
自然と理想的な社会になっていくのではないか?ということです。

現在の奪い合いの社会は、非二元論的には一人の人間が自分の手足を食べているようなものです。
または、自分の兄弟を常に憎み合ってぶっ殺して利用しているわけです。
想像したら、ちょっとこわい。
だけど、まあ、そんな無意味な自分の傷つけ方をして、
この世界は成り立っているわけです。

やっぱりすべての解決方法は自分の中にあると思えます。
私一人の理解が全体の理解になるわけですもんね。
d0166615_3351248.jpg

[PR]
by wakeup71 | 2015-01-03 03:36 | スピリチュアル | Comments(0)