気づきの覚え書き

wakeup71.exblog.jp
ブログトップ

<   2015年 06月 ( 2 )   > この月の画像一覧

夢からさめるとき

ずっと前、まだアセンションなんて言葉が流行ってたころ。

ある時、「自分はすき好んでこの場に来たんだ」

と思ったことがあった。


殺伐としたルールだらけの世界。

誰もがお金のルールに縛られて、

自由がなく、ラットレースに巻き込まれ、

必死に生きている。

だけど、その世界をぶち壊す勇気のある人々が現れ、

大変革が起きて、その勇気ある人々の一人となり、

世界が変わっていく様子を見届ける。


そういうシチュエーションを作り、

そういう救世主的な経験がしたくて、

とりあえずストーリーを作り、参加している。


そんな気がしたことがあった。


それ、ほんとうだったんだなあ。


実際は、もしこの世界の夢が終わったら、

ぜーんぶ忘れちゃうんだ。

その時は、なにもかも忘れちゃう。

自分も他人もない。

お金も会社も友人も家族もない。


何にもなくなってしまう。

d0166615_1821432.jpg


どんなところなんだろう。

そこは。
[PR]
by wakeup71 | 2015-06-27 18:21 | 日常生活 | Comments(0)

主体も客体もない

主体も客体もないらしい。

はじめてそれらしきことを読んだのは、
奇跡のコースだ。

膨大な量をもてあまして、とばして教師のための項を読んだとき。

「教えることは学ぶこと」

それは、なんとなく、そうかもしれないと思った。
およそ、教師らしきことを経験したら、誰でもそう思うかもしれない。

だけど、これは、もっと濃厚な意味がある。

つまり、主体も客体もないということなんだ。


私たちの世界は、いろんなダシが入ったスープのようなものだ。

絶妙でおいしい。その中には、生徒役もいれば教師役もいる。

だが、スープはスープ。それひとつだ。


世界を眺めるとき、見えるものは同じスープ内でしかないと知ったら。

いとしく思うものも、にくく思えるものも、

ひとつの自分でしかないということだ。


溝口あゆかさんのブログから
ガンガジさんのエピソードを聞いた。

彼女の、病気にすらリラックスをなげかける言葉はすごいと思う。

なんでも受け入れるのだ。

それは、降参した人生のありかたであり、

また、この世はひとつだと認めていることだ。

非二元の立場でみつめると、物事はひっくりかえる。

先生も生徒もない。

私がみるものは私。

世の中は自分の投影でしかないのだと。
[PR]
by wakeup71 | 2015-06-23 01:13 | スピリチュアル | Comments(0)