気づきの覚え書き

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ダグラス・ハーディングの実験

最初にダグラスさんのお名前を聞いたのは、奇跡のコースについて学ぼうとしていた時、
あるティーチャーの話の中であった。
その指をさすしぐさが忘れられず、調べたのだ。

指をさす実験では、確かに何か自分に「?」という感覚があった。
ダグラスさんの友人であるリチャード・ラングさんの実験動画がある。

ひとつが5~6分の短い動画がいくつかあって、優しい語り口にあっという間に見てしまう。
とくに2つ目はすごい。


最初は?くらいの反応だった。
だが、何回か見て、少しずつその?は大きくなっていった。
そして、昨日、ダグラス・ハーディングさん自身が語る講演録を見たとき、


ダイレクトに中身が伝わってきた。

これは、まさに実験だ。これは科学的に証明した非二元論だ。

ずっと翻訳してくださった、高木悠鼓さん、本当に素晴らしいです。
私のような者でも、わかることができた・・・

この方法がみんなにわかってもらえる日がくるだろうか?

いろんなことすべてがひっくり返る世の中になるんじゃないだろうか?

どうか、少しでも理解者が増えますように。
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by wakeup71 | 2015-07-20 21:22 | 日常生活 | Comments(2)

シュガーラッシュの世界は非二元論

日本では「アナと雪の女王」が絶大なる人気だったため、
同じ年に上映されたディズニー(ピクサーメンバー)の映画には
気づかなかった人もいるのではないか。

これが、全くすごい映画でした。

「シュガーラッシュ」
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内容的には、ゲームセンターのゲームの中の人物が自我を持ち、
自分が出ているゲームに疑問を持ち始めるというものです。
日本でおなじみのストリートファイターも登場して、
パックマンらしきもの?その他見たようなアーケードゲームのキャラが出てきます。

・・・・・・

アドヴァイタ 非二元論 ノンデュアリティ の考え方で言えば、

この映画の中の話、まったく真実じゃん(苦笑)

主人公のラルフは悪役で、でっかくて強くガンガン建物を壊す役目があります。

だけど、ある日、ラルフはもう嫌われ者になるのはイヤだな~って思ってしまうんです。

そこで、自分のゲームから抜け出て、ちがうゲームに参加してしまいます。

そのゲームでヒーローメダルを取れば、もう悪役にならなくてもいいかも、って思うんです。


でも実際はラルフがいなくなったゲームは大混乱。

ゲームの主人公の修理屋キャラのフィリックスは、壊してくれる悪役がいなくて出番がない。

ゲームの進行ができず、みんなオロオロ。
画面は進まず、ついには、ゲームが壊れたと思われてしまいます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これって、すごい話ですよね。

実際、私たちが住んでいる二元の世界では、
ニュースでも社会でも、職場でも学校でも、
どこかに悪役っていて、みんなに「困ったやつ」と思われてる人がいます。

でっかく考えるとまあ、
世界の富の99%を占めている1%の大金持ちの方々や、
どうしても利潤先行で考える経済界の方々や、
人の弱みを握ってコントロールする方々や・・・・

きりがないです。この世の悪役的な部分を背負ってる方。
Twitterでは、弱いみんなは、なんとか悪に対して批判しようとがんばってます。

悪役は、もともと、そうなりたくてなったのか?

なんだかそこには、自分の意思より、
運命的なものが大きいような気もします。

一応、手は汚してないと思われる小市民は、


誰かが悪い



と思えることが日常の安心につながってる可能性もあります。

手は汚してないと思われる小市民は、
自分の安心のため、
ラルフがいなくなって困る人、多いのかもしれない。

世の中のストーリー的には悪役がいないと成り立たない。
ゲームの世界でもプログラムどおりに動くのが一番しあわせ。

だけど、人間はどうしてもその時の感情にふりまわされてしまう。
それが、自分でコントロールしたいという自我を生む。

起きた出来事を、自分がどう解釈するか?
それが選べることこそが、人間の尊厳だ、と 向禅師の言葉がありました。

スピリチュアルTVのインタビューです。
これはすばらしい動画でした。
小泉さん、いい番組を本当にありがとうございました。
すでに1万回再生されています。


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by wakeup71 | 2015-07-12 23:41 | 日常生活 | Comments(2)

投影について2

非二元の世界では、主体も客体もないんだとすると、

「投影」 という考え方もどうなんだろう?

投影というのは、投影されるものがあっての言葉だ。

現世界は自分の中身の投影だという非二元論の初歩的入口があるけれども、

実際にはそれもおかしい考え方だというわけだ。

だって、自分というものは存在してないんでしょ。

・・・・

では、この世界ってなに?

どういう構造になってるの?

投影するものも、

投影されるものも、

ないとすると、、、

全体しかなくて、側面としていろいろあるだけなのか。

とりあえず、自我としての考え方では。

何があろうと。

戦争があろうと、

虐待があろうと、

犯罪があろうと、

平和があろうと、

親切があろうと、

助け合いがあろうと、

すべて、大きなLifeの一側面。

良きも悪しきも、まるごとひとつ。

自我の意識で考えると

ある側面が分離した個人のように見えるけど、

そうではなくて、すべてがひとつのものがもつ側面なのか。

自我はいいところだけ、自分だと思いたい。

だが、そうやって切り離して考えると、

周りには反対の悪いところだけ目に付いていく

だから、善悪の善だけすくい取って、

「私はわるくないのよ、あの人のせいなの」

と言いたい。

実際は、善悪まるめてひとつだから、

どちらかに偏らなければ、

善も悪も目立たなくなる。
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by wakeup71 | 2015-07-05 07:36 | 日常生活 | Comments(1)