最近になって、ようやく裁いてる自分の実感がわかった。
「裁く」とき、相手をねじふせようとしている。
パワーをみせつけて、エネルギーを奪おうとしている。
そんなことに気づいた。
たとえば、
仕事をさぼったり、
約束をやぶったり、
いい加減なことを言ったり、
そんな人をどう思うだろう。
それは、どうしても否定したくなる。
「だめだよ、そんなの」って。
これ、「裁いてる」ということだ。
人のやっていることに善悪をつけ、
文句をつけてる。
この「裁く」程度が高い程、
その人のやったことを自分がやったら、
ゆるせない。
仕事をさぼることは、ゆるせない。
約束をやぶることは、ゆるせない。
いい加減なことを言うのは、ゆるせない。
その時、自分を裁いている。
自分を裁く人ほど、
人も裁く。
冷静になれない。
たぶん、昔、さぼって、ひどく怒られたことがある。
約束をやぶって、誰かをがっかりさせて後悔したことがある。
いい加減なことで酷い目にあってうらんでいる。
そんな経験が、人を裁くようになる。
言い訳すると、それはこの社会で生きるのに、
必要なことだった。自分を律することは。
でもいつのまにか、そのくくりが多すぎて、
自分をガチガチに縛っていたことに気づく。
「あれはダメ、これはダメ、
こうしなきゃダメ、ああしなきゃダメ、
これはゆるせない、あれもゆるせない」
毎日、毎日、自分を裁いて、
人も裁いていく。
ニュースが目に入っても、
遠くのだれかを裁いていく。
善悪ってなんだ。
迷惑ってなんだ。
「だめ!」と思ったことは、
自分を縛りつけるばかりか、
だれかを踏みつけることにもなる。
そうやって裁いてだれかを踏みつけてると、
いつのまにか、選択肢がなくなっていく。
心がどんどん狭くなる。
「ダメ」といってだれかを踏みつけて、
その人からエネルギーを奪っている。
奪うことによって、不毛な安心を得ようとする。
(以下引用)
http://starheart-blog.jp/2012/08/19
次元とは時空間であり、「波動」のことだ。
そして「波動」とは【内なる心の自由度】を言う。
制限がなくて、選択肢が多いとき、
可能性が大きく広がったような気持ちになり、
そうなって初めて私たちの心は【自由】を感じると思い込んでいる。
でも実は逆だ!!!
内なる心が自由だから、【制限が消えて選択肢が増える】のだ。
この【内なる自由度を次元】といい、
内側が自由になるほど次元が上昇する。
次元が高くなる。
ゆえに、結果として、その内なる次元が自ずと外へ物理化する。
現れてくる。コピーされる。
不自由な物理次元というものがあったり、
自由な○○次元というものが外のどこかに存在しているわけではない。
各自の【内なる心の次元】が、この物理世界へ投影されるだけだ。
それは人それぞれだ。
今までは、心の自由(意識の自由)が少なくて、
心の3次元的4次元という波動がそのままへ物理化したことで
創られてきた世界だっただけ。
もっと自由な心になっていくと、
自分の次元が高くなり、この物理世界に現れる。
それがどういう名称の次元で呼ばれても、
そういうことはどっちでもいい。