先日、ノーベル賞物理学賞の梶田さんと一緒に研究していた戸塚洋二さんのことを調べていました。
戸塚さんは梶田さんの先輩で、同じようにニュートリノ研究をされていたのですが、ガンで亡くなっていたのです。
NHKで戸塚さんの特集番組が放映され、大変興味深いものでした。
亡くなる前、彼は何度か仏教研究者とも交流しています。
ネット社会では、すぐにいろんなところへ立ち寄ってしまいます。
気になって調べていたら、花園大学の佐々木閑さんとつながり、
そして彼がべた褒めしている魚川祐司さんを見つけました。
魚川さんは、タイのテーラワーダ仏教のお寺で仏教研究されている人です。
日本で、最近、本を出されています。
「仏教思想のゼロポイント」という本です。
まだ全部は読んでいないのですが、その前段階のkindle版の「だから仏教は面白い!」を読みました。
すごく、
おもしろかったです。
ブッダの伝えたかったことは何だったのか、
仏教はどうして今の形になっていったのか、
とてもわかりやすく書かれてあります。
人間の渇望するものが全て社会を形成しているということが最初にあり、
ブッダが弟子達に禁じた「生殖、労働」をあげています。
生殖は異性の顔を見るのもダメ、考えることもダメ、というようなきびしいものであり、
労働は社会を形成するものですが家族も社会も人間の欲望の結果できたものです。
これらのことは、私がOSHOを読む前ならとても理解に苦しんだと思いますが、
OSHOを読み、奇跡のコースを読み、非二元論各著を読んだあとでは、もう、すべて納得がいきます。
奇跡のコースの解説本である「神の使者」では、
「この世界を終わらせる」使命をおびて使者が語ります。
「これで、かなり時間を短縮できる」
というのが、よく出てきます。
つまり、この世界を終わらせること、が目的です。
ブッダが求めていたものもそれだったのではないかと思います。
OSHOは、「あなたがたの愛は愛ではない」と言いました。
相手を恋こがれ、あるいは自分のものにしたいという渇望、これは永遠不変の愛ではあり得ません。
しかし、私達はほとんどの場合、こういったウソの愛をもとに結婚します。
子どもを生むのも、ただ自分が子を得たいという欲望から産みます。
その先の世の中をどんなに子どもが苦労するか考えもせずに。
家族を作るというのも、大まかに言えば自分の欲望でできたものであるということです。
ブッダが弟子達に禁じたものは、ただつらい修行というわけではなく、
この世を形成するものから離れなさいということだったのでしょう。
この世を感じること、私達の知覚、見ること、聞くことなどすべての知覚も、
そこから成り立つ感情、欲望から形成された社会も
すべてが「自分」という個人がいるという設定で作られています。
これらをすべてウソだった、存在していなかった、という、
理解を得るためには、きびしいと思われる禁じが必要だったのだと思います。
奇跡のコースのきめ細かなワークブックはひとつひとつの知覚を疑うことから始まります。
形は違えど、言ってることはすべて同じです。
調べると、魚川さんはニー仏さんというお名前でTwitterもされていて、
つい一昨日はツイキャスで動画(音声)も発信されていました。
若い人にとても受け入れられています。
語られていることは一般的な悩みです。
家に帰れなくて彷徨っている若者に、
非二元論的に「そんなのはストーリーだよ」といっても伝わりません。
まずは、悩み苦しみからの解放が必要になります。
でも、この悪循環の社会を終わらせるためには、
もうひとつ先の理解が必要になります。
その理解の上で、本質の一瞥体験があれば、悟りがやってきます。
量子力学や理論物理学の学者さんも、つきつめれば同じ理解に行き着くのだと思います。
ただ、現在の素粒子に関しての研究は、なんだか本質をはずしてるような気がしてきました。
素粒子はやはり、観察者により形を変えるのだと思います。
それは切り刻んだり、ぶつけ合って細かく粉砕してわかるものではなくて、
もっと全体的な流れを読み取ることがあっていいと思いました。
ホログラフィック宇宙論がやはり本質に近いように思います。
こんどは宇宙は分割できないというデヴィッド・ボームの本を読んでみたいです。
ジッドゥ・クリシュナムルティさんとの対談本も興味深いです。