地下生活になってから、どのくらいたっただろう。
人間時間で言えば、ざっと500年ほどだろうか。
菜食主義を通しているので、表には出られない。
だが、彼らをいつもチェックしている。
さて、想像してみてほしい。
もしもあなたが、たくさんの豚やひつじや牛を放牧している牧場主であるとしよう。
よりよい肉質、より健康で自然に育った家畜を育てたいと思うだろう。
乳を搾り、より良質な牛乳やバターを作りたいと思うだろう。
放っておいても、増えていくように自由な土地を与え、自由に育てる。
彼らがより楽しく命を生きていけるように。
楽しく共存し、できるならば畑を耕すことも手伝えるように、丈夫でかしこい牛を育てたい。
多少遺伝子操作をすれば、言葉もかわせるほど脳も発達するかもしれない。
そんなふうな広大な牧場をもっているとしたら。
さて、話ができるようになった家畜をどう思えるだろう。
殺せるだろうか?そのまま搾取できるだろうか?
もしもその広大な牧場で家畜たちが智恵をつけ、自分たちで社会を形成するようになったら。
自分たちで物を作り始め、平和により繁殖するようになったら。
思ったより、彼らの進化ははやく、知性を持ち始めた。
牧場主は彼らの前に、一見威厳があるようにふるまい、豊かな食物を与え、神としてふるまうことにした。
知性がある生き物は、宗教があると落ち着く。
家畜たちは自分たちで取引を始め、助け合って暮らすようになった。
牧場主は考えて、策を練り、なんとか彼らの社会を取り仕切れるように
お金の仕組みをつくった。
そのうちに、家畜たちは膨大な数となり、取りまとめるのは容易でないほどになった。
牧場主たちは、自分を助ける仲間を増やし、数人で家畜を仕切るようになった。
だが、その仕切るはずの牧場主が、家畜の社会を哀れむ気持ちが出てきた。
わたしは、地下から彼らの社会を見守ることにした。
今は、彼らの社会がおだやかに収束することを望む。
なにも知性がなかったころに、生き物は世界全体を感じて、
あるがままに生きていた。
たとえ死んでも、なにをうらむこともなく、運命を受け入れていた。
現在の彼らから、苦しみを生み出す知性を忘れさせてやりたい。
彼らの「自我」という知性を忘れさせて自然に帰してやりたい。
そしてこれらの世界全体が、地上も地下もなく、幻想であるということを思い出して欲しい。
牧場主ですら、実は家畜と同じなのだ。
命のエネルギーはひとつしかなく、それは幻想の遊びなのだ。
不思議だ。実に不思議だ。
もしも、本当に 神 というものがあるとしたら、
きっとそれは、なにも知らない、ほんの小さな子どもだったのだ。
われわれは、その子の夏休みの宿題なのかもしれない。
大きな水槽の中に、「二元世界」という課題を出されているだけの。
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このごろ、はやし浩司さんという人が作られている動画を見ています。
非二元論を知らなかったら、こんな情報はとてもこわくて見られなかった(苦笑)
しかし、ありえないことではないなーという感想です。
ダビンチは今もまだ生きている
かなりの分量があるので、時間があるときでないととても見られません。
上の創作文は、はやしさんの動画から、生きているダ・ヴィンチのつもりで書いてみました。
学生のころも、今でも、絵を描くときにはいつも頼りにしていたダ・ヴィンチ。
もしも彼が生きているとしたら、会いたいだろうか?
どんな気持ちでいるのだろうか?