あけましておめでとうございます。
ジュンコセレンディさんのわかりやすい動画を繰り返し見てます。
新しい動画もまたいくつか投稿されました。そのうちのひとつ、
腹ペコ青虫のはなし
は非常に実感があります。
今の生きてる世界は、殻を脱ぐ前の青虫の世界だというのです。
これは、とてもわかりやすい。
たくさん葉っぱ食べてる。
自主的にどうにかしようと食べ続ける。
もうどうにもならないなと思ったとき、
ぴたっと食べるのをやめる。
するとサナギになる。
中がドロドロになって身体がなくなる。
気づいたときには、蝶になっている。
ヒラヒラと飛んでいる。
そこから見える世界は、青虫のときとは全くちがう。
葉っぱばかり気にしてた世界とは…
私にはとてもわかりやすい例えでした。
(子どもの自由研究で60匹以上の蝶を育てました。笑)
蝶になった世界は、一瞥体験後かもしれません。
もしくは死んだときかもしれません。
ただ、そのときの世界観は、今とは全くちがうのです。
ですから、青虫の間のことは、気にしなくていい。
すべて忘れてしまうことでしょう。
悲しみも苦しみも、
喜びも幸せも、
すべてちりぢりになって、
消えてしまうでしょう。
そうなると、お葬式がお祝い事として行われる文化も、
もっともなことに感じられます。
青虫の世界は、卒業して、蝶の世界へ。
そんなことがわかっていた時代のことだったのでしょう。
***************************************
私事ですが、母がボケ始めたようです。
時間や日付がわからない。
場所を忘れてしまう。
興味のないことは、やらなければいけないことでも、
忘れてしまう。
キャッシュカードや通帳も忘れてしまう。
まるで、両手で水をすくおうとしても、
隙間からこぼれ落ちるように記憶がなくなっていく。
考え方は「どうせ死ぬだけだから」となる。
老人性のウツのようだ。
あわてて認知症について調べる。
介護保険、施設について…。
いきなり子どもの生活に介入してくる、
これらの手続き。
日々の生活だけで、家族の世話、仕事、家事でせいいっぱいなのに、
さらに追い討ちをかける。
こうしたボケの症状は、まるでサナギの状態へいく青虫のようだ。
彼らは、もう葉っぱを食べる必要性を感じない。
おいしい葉っぱの場所を覚える必要もない。
朝、夜の日付時間の観念もない。
ただ寝ていたい。
筋肉が弱くなる。立てない。ヒザが痛い。
サナギの中は、もう身体はとけてなくなっている。
脳がとけていくようだ。
蝶として再生する準備となる。
それが、人間ではボケの症状のようだ。
だから、無理もないかもしれない。
元気なまま死ぬというのは、事故に合うことだ。
それはサナギを飛び越えて、突然、蝶になることかもしれないが。
サナギになると、回りがアセる。
身動きとれない老人をどう世話していいか。
「ツマグロヒョウモン」
(サナギには金のボタンがついている。
食草のスミレから抽出してるのだろうか。
みごとな金ボタンなのだ。)
しかし、もしかして、
老人のボケに対して万全の対策というのは無いのかもしれない。
青虫がサナギになるというのは、自然なことだからだ。