気づきの覚え書き

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日常の受容

あけましておめでとうございます。

ジュンコセレンディさんのわかりやすい動画を繰り返し見てます。
新しい動画もまたいくつか投稿されました。そのうちのひとつ、
腹ペコ青虫のはなし
は非常に実感があります。

今の生きてる世界は、殻を脱ぐ前の青虫の世界だというのです。
これは、とてもわかりやすい。
たくさん葉っぱ食べてる。
自主的にどうにかしようと食べ続ける。
もうどうにもならないなと思ったとき、
ぴたっと食べるのをやめる。

するとサナギになる。
中がドロドロになって身体がなくなる。
気づいたときには、蝶になっている。
ヒラヒラと飛んでいる。
そこから見える世界は、青虫のときとは全くちがう。
葉っぱばかり気にしてた世界とは…

私にはとてもわかりやすい例えでした。
(子どもの自由研究で60匹以上の蝶を育てました。笑)
蝶になった世界は、一瞥体験後かもしれません。
もしくは死んだときかもしれません。
ただ、そのときの世界観は、今とは全くちがうのです。

ですから、青虫の間のことは、気にしなくていい。
すべて忘れてしまうことでしょう。
悲しみも苦しみも、
喜びも幸せも、
すべてちりぢりになって、
消えてしまうでしょう。

そうなると、お葬式がお祝い事として行われる文化も、
もっともなことに感じられます。
青虫の世界は、卒業して、蝶の世界へ。
そんなことがわかっていた時代のことだったのでしょう。

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私事ですが、母がボケ始めたようです。

時間や日付がわからない。
場所を忘れてしまう。
興味のないことは、やらなければいけないことでも、
忘れてしまう。

キャッシュカードや通帳も忘れてしまう。

まるで、両手で水をすくおうとしても、
隙間からこぼれ落ちるように記憶がなくなっていく。

考え方は「どうせ死ぬだけだから」となる。
老人性のウツのようだ。

あわてて認知症について調べる。
介護保険、施設について…。

いきなり子どもの生活に介入してくる、
これらの手続き。

日々の生活だけで、家族の世話、仕事、家事でせいいっぱいなのに、
さらに追い討ちをかける。

こうしたボケの症状は、まるでサナギの状態へいく青虫のようだ。

彼らは、もう葉っぱを食べる必要性を感じない。
おいしい葉っぱの場所を覚える必要もない。
朝、夜の日付時間の観念もない。

ただ寝ていたい。

筋肉が弱くなる。立てない。ヒザが痛い。

サナギの中は、もう身体はとけてなくなっている。
脳がとけていくようだ。
蝶として再生する準備となる。

それが、人間ではボケの症状のようだ。
だから、無理もないかもしれない。
元気なまま死ぬというのは、事故に合うことだ。
それはサナギを飛び越えて、突然、蝶になることかもしれないが。

サナギになると、回りがアセる。
身動きとれない老人をどう世話していいか。

日常の受容_d0166615_1404526.jpg

「ツマグロヒョウモン」
(サナギには金のボタンがついている。
 食草のスミレから抽出してるのだろうか。
 みごとな金ボタンなのだ。)

しかし、もしかして、
老人のボケに対して万全の対策というのは無いのかもしれない。

青虫がサナギになるというのは、自然なことだからだ。
by wakeup71 | 2017-01-02 14:46 | 日常生活